「脱-幻想」的態度


いちおうこのブログのテーマは、
「脱-幻想」ということなので、
そのことについて少し触れておきたい。


自分の中での定義づけとしては、
この「脱-幻想」的な態度というのは、
世界を幻想として切り捨てて「あの世への帰還」への
熱望的な気分を表明するものというより、


むしろその逆で、


幻想を幻想として受け取り、その上で“あえて”この世にとどまることを
選択する流離者としての矜持のようなものを持ちたいということの表れのつもりだ。


というのも、
なんというか、「あの世への帰還」とか、「あの世からこの世への干渉」といった、
神秘主義的かつ決定的な、垂直次元の往来の話というのは、


触れようと思えばいつでも触れられる当たり前の素材として扱うより、
雲間から差すほんのかすかな一条の光として、
うっかり見逃せば二度と見えなくなくなるものとして扱う方が、
付き合い方としてより「弁えている」と感じるから。
(実際には常に背後にその気配を感じているとしても)



同じ理由で、
なんでもかんでも「スピリチュアル」と言って事を済ませようとしたり、
そういう文脈の中で楽観的に「自分にだけは早々に訪れる救い」を信じて疑わない態度にも抵抗がある。


どうもそれは、
「生きるのがつらい」と言って苦しんでいる人に、
「クスリ飲めば一発だよ」
と言っているのと変わらない気がするから。


むしろ、


“あえて”つらい社会にとどまる、とか
“あえて”クスリをやらない。
あるいは、“あえて”生き続ける・・・


といった、
「意味」なんかいつまでたっても分からないけど、
“あえて”積極的に、その訳の分からないものに巻き込まれるような生き方・態度にこそ、
より深い悲しみや絶望を感じる。


悲しむことや絶句することが「よい」ことなのかどうかは分からないけど、


少なくとも、
自分はこちらの態度に美学を感じるのだからしょうがない。


言い方を変えると、
所与のものへの安易な否定を否定することによって、
“裏返し”のかたちで、所与のものを肯定するモードをこそ、
自分は「脱-幻想」的な態度とか、“あえて”の行動様式と位置づけたい。
占星術におけるTスクエアの構図)


つまり、「脱幻想」的態度というのは、
結局、現状肯定的な運命思考のバリエーションの一つなのだろう。


あの世からこの世を見る視点を獲得することで、
この世の価値やそこで生きることの意味を感じ直したいとか、
そういうようなことを目指しているのだと思う。