「遭難フリーター」の顔

昨日は渋谷でもろもろ打。のち、某占い師に誘われて、
夜から渋谷のユーロスペースに映画『遭難フリーター』と、
監督の岩淵弘樹と作家・雨宮処凛トークライブに行ってきた。


内容は、監督である岩淵弘樹自身の派遣労働者としてのリアルライフ。
全編市販のハンディビデオカメラで撮影したセルフドキュメンタリーだ。

みそからアドレナリンが噴出するような面白さではないけど、
「あー、これこれ、分かるわその感覚」みたいな、
じわっじわっと当事者意識をつきつけてくるような面白さはあった。


この映画独自の面白さは、
ハケン」とか「ワーキングプア」としてモザイクをかけられ
「顔のない被害者」として報道される若者像を、
実際に悩みつつ生きる主体として描き、
ある種の意趣返しをしているところに感じる痛快さだろう。


埼玉県のプリンター工場で働く2006年当時23歳の「岩淵弘樹」は、
たまの休日にいつも何かが起こっていそうな東京にやってきて、
フリーターの権利要求をがなり立てるデモ行進に参加するのだが、
こんなデモをしても世の中何も変わらないのではないか
と自問自答したりしている。


居酒屋。
いかにも団塊世代ふうのおっさんに
「お前らフリーターは奴隷だ!フリーターのフリーは経営者のフリーなんだよ。」とか説教されて、
「そんなこと言われると一生フリーターでいってやろうと思いますよ」と逆ギレする。
また、大手レコード会社に就職し“勝ち組”になった大学時代の同期と飲みに行けば、
「努力が足りないよ。そういう状況を自分で選んでるんだろ?」と上から物を言われ、
申し訳程度の反論をして、だまる。


取材。
派遣労働者のドキュメンタリーを作ろうと接触してくる
NHKのディレクターに逆取材を敢行し、動揺する顔の表情をビデオにおさめる。


夜。
ハケンの仕事だけでは追いつかず、
東京で日雇いの仕事を入れるも、お金がなくて寮のある埼玉に帰る余裕がなく、
歩いて夜を明かすことを決める。
雨が降る中、高円寺から平和島まで20キロ以上歩き続け、
夜明けに海の見える東京の南の果てまでたどり着き、高揚感を感じる。
(正直映画のクライマックスとしては安易な感じがしたけど)


そうやって岩淵弘樹は、
派遣労働者を単純に社会の被害者として位置付け、
内面にまでモザイクをかける思考停止に異議申し立てをし、
マスコミが煽り立てる物語に回収されない自己の姿を追い続けるのだ。


ところで、実際に見た岩淵弘樹は妙にすっきりした顔をしていて、
コスプレファイターの長島☆自演乙☆雄一郎選手に見えて仕方がなかった。
顔がね。


まぁ考えてみれば、
K1という舞台でガチのコスプレとパフォーマンスを繰り返し、
「入場パフォーマンスが仕事で、試合は趣味」
と言い放つ自演乙も、「痛快さ」という点では似ていなくもない。


雨宮サンは、笑った顔がキレイに感じた。
僕の勝手な想像で、仏丁面のイメージしかなかったからかな。


トークライブの後、少し立ち話もしたのに、
なんだか二人の“顔”のことしか印象に残ってないのはなぜだろう。


統計局の出している情報では、平成20年度末時点での
正規雇用の職員・従業員の割合は34.6%にのぼる。

派遣切りが相次ぐ中、マスコミが報じる「非正規労働者」という
霧のようなイメージに隠された顔たちは、今どんな顔をしているのか。


帰りの電車。映画館で買った本を読みながら、そんなことを考えていた。

遭難フリーター

遭難フリーター