木星・海王星の合 2
『生きさせる思想〜記憶の解析、生存の肯定〜』
という本の中に、こんな一言があった。
メンヘラー*1の若者や貧困にさいなまれている人たちが、「自分は生きていていい」と思えない社会になっている。 by小森陽一さん*2
今の日本社会で実際に需要がありそうなのは、
グローバル化や格差社会化を糾弾することではなくて、
その余波に個人が直撃されないように(あるいは例えされたとしても)、
社会が包摂性をもってそれなりに回るようにすることだろう。
これは危機管理の問題でもあると思います。
フリーターや派遣労働者に向けられる自己責任論が、
十分に批判されるべきと言わざるを得ないのは、
個人が病気や事故などの偶発性に当たるだけでなく、
社会もパンデミックや経済危機のような偶発性に襲撃されやすい時代にあって、
「個人の自立」さえ成立すれば全ての危機は回避されるだなんて、
もはや誰も思っていないにも関わらず、
それを口にすることを自己責任論が妨げてしまうから。
もっと言えば、
ホームレスやネットカフェ難民、ワーキングプアの人々を
自己責任論で片付けるということは、
自分は何もせず、心も痛めなくてよいということを
正当化することでもあると思う。
「その危機は私には関係ない危機だ」
ということを無意識に刷り込んで思考停止させることで、
どこかで精神のバランスを図っているのかもしれない。
だから、
冒頭の「メンヘラーの若者や貧困にさいなまれている人たち」
が自分を責めれば責めるほど、
それを追い込む人たち、何もできず傍らで眺めている人たちもまた、
知らず知らず、心のどこかで罪悪感を募らせていくのではないかな。
「するも選択、せざるも選択」
日本は年間3万人を超える自殺者を輩出(排出?)している自殺大国*3だけど、
自殺者の周囲にあって、
知らず知らず彼らを追いつめる側に立ってしまった人たちというのは、
「せざる」という仕方で社会設計に加担している訳で、
そういう人たちが抱える罪悪感というのも、
日本全国の総量で言えば相当のものだろう。
今年の社会の動きの目玉は、
占星術的には木星・海王星・キロンの邂逅です。
今年の6月には、
木星・海王星・キロンのトリプルコンジャクションが形成されるが、
木星・海王星は「赦し」の意味合いを持ち、
キロンは人間に「傷」を教え「癒し」に通ずる天体。
水瓶座の海王星は、
魚座の天王星とミューチュアル・レセプションの状態にあり、
木星・海王星・キロンの「罪悪感の海容と赦し」が、
天王星によって「社会化」される配置をとっている。
水瓶座は「システム」に通ずるから、
不安に裏打ちされた不信ベースの関係性ではなく、
自発的善意に支えられた信頼ベースの関係性を、
いかに「魚座天王星」的システムで作り出していけるかが、
社会レベルでの目下のテーマと言えそうだ。