疎開先としての京都

先週の土曜から4日ほど、占いの仕事も兼ねて、新型インフルエンザの発症どまんなかの京都へ行ってきました。もちろん、マスクなんか着けていきませんとも。

高速バスで6時前に京都へ着いた足で、電車を乗り継いで一路鞍馬へ。
鞍馬寺が祭る魔王尊は、今から650万年前に金星から白熱の渦とともに降り立ったとされるサナート・クマラ(SANAT・KUMARA)とされている。他の仏教系の寺院と違って、ここはどこか宇宙的だ。

SANAT・KUMARA→KURAMA・SATAN→日本のルシファー→スサノオ→すなおう→素直王→ムーミン→天狗

早朝の誰もいない鞍馬山を、そんなことを考えながらひとりでしくしくと歩き回っていた土曜の午前中は本当に静かだった。

鞍馬から貴船方面へ下山して、京都市内に戻って以降は、
逆に一転して、ずーっと常に誰かしらと会って話をしていたような気がする。



大学生から市役所関係者まで、色々なコミュニティーの人と会って話をしてきたけど、総じて京都は東京と比べ、文化が経済システムの支配によって受けている制約の度合いが少ないように感じた。より自由に、熱気を帯びて、しかも生活と密着した形で、各々のライフワークを濃密に展開しているような、そんな感じ。

東京にいたら眉をひそめられるような研究や活動に対しても、本当になんでもないというような雰囲気だ。例えば、暗黒舞踏の系譜を汲むダンサー兼法科大学院の学生や、世界中の研究者の間を訪ねて回って仮説を立てまくっている方、アレックス・カーが結んだ庵の管理人など、言葉だけ並べてみると、ジャンルも年齢もバラバラな人たちが、ごく自然に寄り添っている。

京都の中心街から少し外れた、閑静な町屋を転々として交流していったせいもあるかも知れないけど、たとえ初対面の人でも、町屋で話しているだけで、まるで生活のあらゆる細部にまで埋め込まれた広告が大合唱する「消費しろ!」という声なき声から、一緒に集団疎開してきたかのような親近感を覚えた。

新しい文化のOSは、記号ばかりが乱舞する東京ではなく、京都の町屋のような場所から生まれるのかも知れない。観ることや語ることと創ることが一体となっているような生活をしていないと、なかなか本物は生まれてこない。

そういう意味では、疎開先としての町屋的コミュニティー生活は、文化的過渡期という戦時を生き抜くための軍事作戦であって、決して安逸への逃避ではない。

それだけ、今回の京都訪問では新しいオルタナティブが生まれる鼓動が感じられたし、それに触発されて、自分が占いに携わっていることの意味についても考えさせられた。占いにできること、自分がやりたいこと、社会が求めていること、これらの重なりをもう一度真剣に見つめなおそうと思う。一歩一歩。サイのごとく歩みたい。