占い⇒自己教育ツール

ふと思ったが、占い師と占われる者との間で行われる現在のような形式での占いは、将来的にはなくなるだろうし、また、なくなるべきだ。

古来より日本でも秘儀への参入は、霊媒としての巫女(神主)と、霊体験を導き解釈する審神との二人一組で行われてきたけれど、この形式だと、相手に自分の人格をゆだねることになるので、たとえ相手がそれほど邪悪な人間ではなくとも、相手に自分の人格を容易に支配する権限を与えてしまうことになる。自我の発達した近代以降の世界では、そうした隙間(魔)は人の煩悩をいたずらに増幅するばかりで、時代遅れの感が否めない。

あくまで精神の自由とそれを支える明るい意識を失わずに、荒ぶる無意識の声を聞いていくということを“一人”で行うのが、現代にあるべき変容の形ではないか。ただ、やはりそうした自己教育が成立するためには、ある程度の強度をもった心の受け皿が必要となるし、既に気が弱っている者相手にいきなり強くなれとも言えないが、少なくとも、占う者はその状態(つまり占い師離れすること)を理想としつつ、相手に向き合っていかなければならないだろう。

ホロスコープをつくるのも、マンダラを描いたり箱庭をつくるのも、魂の内面に荒ぶる無意識の声を受け入れる「器」をつくろうとする営みである、という点ではあまり変わらない。そういう意味では、マンダラ塗り絵ではないが、占い師がホロスコープを解釈するのとはまた別の、まったくの占い初心者ユーザーでも可能なホロスコープの使い方や、関わり方というのも発明されて然るべきだなぁ。。。