どん底からはい上がる?


フジロックで占う!の儀式も終え、
昨日26の誕生日も無事迎え、
なんとなく、
やっとこさ運気どん底期間から抜け出てきた感覚。



進行の太陽も乙女座2度から3度へ。


乙女座2度のシンボルは「掲げられた大きな白い十字架」で、
これは主観とか感情を埋葬し、その上に十字架を立てるという意味。
確かによくも悪くも、
25の一年間は感情を殺してきたので、
気持ち的にはけっこうしんどかった。。。。
(自分、太陽獅子座、月牡羊座のわんぱくだし)


精神的な抑圧と不安定さの中で、
精神的なよりどころや追従すべき基準を常に探してた(十字架)。


それは、前年獅子座から移行し始めたばかりの太陽が
乙女座(大地)へ踏み出した反動だったのかも知れない。


数字的にも、
1が積極的な姿勢の打ち出しや提示だとすれば、(作用)
2はそれを取り巻く環境からの反動・反応を表す。(反作用)
そして正、反とくればお次は合。
3は1と2を調停して、可能性を拡大させるaufheben(止揚)。
だからまぁ去年と比べれば、重しは取れた感じ。


占星術のシンボル的には、乙女座3度は「保護をもたらすふたりの天使」
これは先の十字架への追従の結果として、
ついに天使を幻視するってところか。
いわゆる役得。


考えてみたら、
自分にとって25の時に選択した十字架は占いであり、
占星術みたいなものだから、
今年はそこに生き方や考え方を統一させる感じだな。


占星術のことばのような形式論理で、
人間の抱く小宇宙をある程度見通せるという「信仰」によって、
例外的な事象や自然界の真実なんかは覆い隠されるけれど、

「価値観が一定の型にはまると、世界はその原理に従って動いているように見え、
 自我は“保護”され、不安定ではなくなる」

という事態は成立する。


逆に考えれば、
今まで自分は、価値観の基準を持ってるようで持ってはいなかった。
思いつきがバラバラに存在していて、
行き当たりばったりに引き出し開けてひっぱり出すような、そんな感じだった。


しっかりとした「目」を持つことで初めて、
そこに「世界」は立ち現れるものだ。


そしてその結果、
その目が拾わなかったものによって初めて、
人生に「無意識」だとか「影」といったものが形成されるのかも知れない。
(それとの対峙は来年以降のテーマかな)
なんのことはない、
自分にはまだ背中から滲み出すような「影」や「陰」なんかないのだ。


とりあえず、
26の一年は上に這い上がるというより、
去年撒いた種を発展させ、固める、aufhebenな年にしたい。
具体的には、
占いをもっと飯の種にしたい(爆)



以上