関係性の体系としての12星座システム

「星座なに座?」
「わたし獅子座〜」
「あ、なんかそれっぽいかもwww」
みたいなコミュニケーションツールとしての占いもアリだけど、
もともと12星座というシステムは、どれか一つの星座自体で
独立した価値をもつわけではありません。


仏教の「縁起」の考え方を12星座にも適用してみると、
意外とスッキリするのではないかと思うので、
そのへんのことについて、メモメモ。


例えば自分の場合、獅子座の7度に出生時の太陽があるけれど、
どの星座でも7度というのは、
6度で一つの環境にコミットした後の状況下で、
「二つの世界の間に生じる落差や対立を味わう」ことがテーマとなっています。
(その間で振り回されるってのが僕が20代後半に経験しやすい現象なんだな)


獅子座的な観点では、
移り変わりが激しい世間や流行と、
安定を求めたい自らの内面とのギャップを埋めるためには、
昔も今も変わらない「夜空の星」のような価値観や判断基準に
自分を合わせようとするのだけれど、
そうした「二つの世界の対立」を味わい、
また統合する(解決の)方法はむろんそれだけでは完結しません。



/(気にせずにはいられない相手@緊張感)
まず、獅子座の向かいに座する水瓶座はどうしたって気になる存在。
獅子座が地上から星空を見上げ、永遠とか絶対に意識を飛ばしていたのに対し、
星空の側から地上を見つめ、ローカルな大地(空間)とのつながりを断って、
自分を完全に無国籍な存在にすることで、より深い自由を獲得しようとします。
これは、見る/見られるのシーソーゲームな関係。


△(気の合う友人)
それから、獅子座とエレメントの同質性で結ばれた牡羊座や射手座は、
なんとなく見ていて落ち着くし、一緒に楽しめそうで、
自分の価値観を共有し、さらに増幅させることができます。


牡羊座は、
世界にはくっきりと切り替わる明暗がある(仕事とプライベートとか)
という根本的なルールを理解した上で、
その切り替えをゲーム感覚で楽しんでいるし、


射手座は、
あえて世間のルールを無視して抜け駆けするうちに、
人が知らないことを知ってそれを伝えたりすることで、
日常に風穴をあけて興奮するドキドキ感や昂揚感を追求している。



□(敵、テロリスト)
で、そうやって一つの視点を固めていくと、
必ず死角ができて、見落としが出てくるもので、
やがて切り捨てた部分なり価値観なりが、
敵対する現実として迫ってくるものらしい。


獅子座の火にとって、土の牡牛座や水の蠍座は、
まさにそうした自分の見落としている死角からの刺客そのもの。


牡牛座は、
永遠とかよくわかんない世界にぶっ飛ぶ前に、
DNAに刻まれた民族的伝統とか日本人としてのルーツに立ち返りなよとか
右翼発言してくるし、


蠍座は、
周囲の人に感じる不安とか、差別感情(優劣が存在すればそこには必ず差別がつきまとう)
から逃げずに、そういう無意識的な感情の深層までもぐって、
不安感の原因を突き止めようぜとか最強にメンドそうなことをおっしゃる。



奇数の獅子座にとって、
/の水瓶座や△の牡羊座、射手座は同じ奇数で、
「上」に解放されて天の父につながる感じだが、
□の牡牛座や蠍座は偶数で、
「下」にもぐって母なる大地につながる感じ。


他にも、
頼めば応えてくれるビジネスパートナー的存在の
双子座と天秤座(*)や、
何かと自分に課題をぶつけて鍛えてくれるトレーナー的存在の
山羊座魚座(インコン)など、
様々な対人関係が潜んでいる。


こうした星座同士の様々な関係性の中で初めて、
例えば「二つのもののの間に生じる落差や対立とどう向き合うか」
といったある一つの状況や設定が持つ「意味」や「学び」が引き出され、
体験の深みが増していく。


そういう意味では、
やはり12星座というのは、どれか一つだけ単体で取り出してみたところで、
あまり本来の価値が発揮されないシステムのようだし、
そういうシステムとしての特質をどう実際に利用していくかをこそ、
いろいろと考えていきたい。