「ありのまま」って何だ?
季節が巡れば、おのずと桜のつぼみはふくらみ、
春爛漫の華やかなときを迎える。
先週、カードをひいたら
「自然の流れに任せて/ありのままの自分で」
と出たのだけれど、そのことさえも忘れて過ごしている内に、
ひとつふたつと、カードの内容を考えさせるようなことがあった。
まず、ネット上のふとしたきっかけで生まれた、
僕の中にある射手座の木星(Hermit)のような人物との出会い。
奇しくも、意気投合した彼は名前にジュピターを冠していた。
現代のマーリンになりたいという彼は、僕にとってまさに、
太陽(Strength、Chariot、アーサー)と土星・冥王星の合(Tower、時代の恐れ)との緊張した関係を調停してくれる絶妙の配役のようにも思える。
それが今後当たっていくかどうかは別として、
「肩の力を抜いてありのままの自分でいる」ことで、
出会いは訪れるのかも知れない。
と思ったのだが、
すかさず反例も出てきた。
上記の出会いの次の日の話。
ある友人と、たくさんの友人を集めて花見をやることにしたが、
いつしか目的と手段が逆転して、「たくさんの友人」を集めることが目的となってしまい、宴もたけなわになっていく頃、ぽろぽろと反感をくらった。
結果的には、楽しかったというメールや電話ももらったけど、
内心すごく後ろ向きになってしまった。
「何も考えずに行動すれば、持ち前の暗い本能から必ず失敗をしでかす」のが人間というものだ、と。
・・・。
矛盾する見解が連続して出た。
これはどうしたら止揚するのか?
もしかしたら「ありのまま」というのは、
ただ突っ立っていればそこにいられるものではなくて、
一定の手続きの上で初めて「なる」ものなのかも知れない。
考えてみれば、
桜は自らを飾ろうとしているわけではなく、
ただその時がくれば桜の花を咲かせる。
あえて他の花を咲かせようということもしない。
「ありのままの自分で/自然の流れに任せて」
というメッセージは、
身の内の暗き奔流に流されろということではなく、
訪れる「とき」を虎視眈々と待っていることを要求する、
あるいは、タイミングを逃さずつかまえろ、
ということだったのだろう。
そういう意味では、桜のほうがよっぽど賢いな。
結果よりプロセスを重視するということとも近いかも知れない。