否定の否定

アントワーヌ・フェーヴル『エゾテリスム思想―西洋隠秘学の系譜』より。

現代占星術の最も目につく側面は、
純化した予言平俗な現世利益星座第一主義であるが、
それにも関わらず占星術はやはり、
人々の欲求に―人びとがそれをどの程度意識しているかは別として―応えているのである。

中心を喪失し破裂してしまったわれわれの世界に、類似の原理に基づく全体的言語を通じて、
<ウヌス・ムンドゥス*1>を、宇宙と人間の統一を、回復したいという欲求に応えているのである。


この欲求が意識にのぼり、反省熟考を促し、実践と知恵を統合する真の「星座(シーニュ*2)」解釈学
を生み出したとき、そのときには「エゾテリックな」占星術だということができる。


最近、「アウフヘーベン/aufheben(止揚)」という言葉を、
哲学史の文脈とは全然違う生活圏内での相談時などによく使っていたが、
考えてみると、自分のやりたいことというのは、
宇宙と人間との間で起きるアウフヘーベンに目を向けること。
またそれを真似、相似形をつくりだすこと。
あるいはそれを語り、ことほぐことに、
このちっぽけな己を捧げることではないか。
なんて思ったりする。・・・なんか抽象的だな。。


つまり“「エゾテリックな」占星術”ってやつを
今の社会の文脈に即してやりたいのだろうな。
と言っても、それは真に新しいものをやりたい訳ではなくて、
「乙女座のあなた。今日は何かとハプニングに見舞われやすい日。
 青いアクセサリーを身に着けると、冷静に対応できて吉」
といった「毎日の星座占い」的な占いの否定の否定をしたいのかも。


止揚wikipediaより

古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、
古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。
このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、
のちに弁証法唯物論が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として
自然や社会・思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。


これ、占星術的にはTスクエアだ。
世界と意識のように、オポジッションに象徴される両極の緊張関係と、
その関係性の間にひびを入れ、実際に力点となって現実を稼動させる、
両極から等しく90度に位置する図形の焦点。


・単純化した予言
・平俗な現世利益
・星座第一主義


これらをどう料理するか。
これらの、あるいはこれらを求めずにはいられない現代人の心性の「積極的な要素」とは何なのか?

*1:Unus Mundus/ラテン語で“一なる世界”の意

*2:ある記号体系の全体のこと。シニフィエシニフィアンシーニュ/意味するものと意味されるものの総体→記号

耳に痛い言葉でも、思わず聞いてみたくなる相手っているよね。

昔読んだ「朗読者」っていう小説が、最近映画になっていた。
「愛を読む人」という、相変わらずのタイトルの付けられ方*1に辟易しつつ、予告編をしっかりチェック。そしたら、ちょっと前に流行った「初恋からの手紙」とコラボしていたので、やってみたらけっこう当たっていた。


内容は耳に痛い(皮肉調)が、確かにどこか当たっているように感じさせる。暖炉の残り火みたいに、チロチロと何かが残り、ほんの少し勇気付けられる。


恐らくそれは、「初めて付き合った相手」からの「手紙」という設定の妙ゆえだろうと思う。自分の醜さをまだ十分に知らず、それゆえ真剣に向き合えば向き合うほど、溝を深める一方だった頃の相手の言葉というのは、あまり聞きたくはないけど、一度耳に届いてしまえば進んで受け入れざるを得なくさせるような力がある。


占いっていうのは、占い師が意図的に当てに当てるようなものではなくて、あくまで、占われる者があえて当たりにいってナンボなところがあるけど、「耳に痛い言葉」を思わず聞きにいかせてしまうシチュエーション作りとコミュニケーション手段のデザインとして見ると、「初恋の人からの手紙」は工夫と遊びのバランスがほどよく、実によく出来ている。


そういえば、「朗読者」をはじめて読んだとき、「ああ、これは人がいかにお互いを簡単には理解しあえないかを描いてるんだなぁ」って思った。だからこそ、そこで交される言葉に重みがうまれる。そういう意味でも、やっぱり、ダメな自分を確認するには、既に取り返しはつかないが思い入れの深い異性の口に語ってもらうに限る。


↓予告編と、「初恋の人からの手紙」はコチラ

「愛を読む人」PRESENTS 初恋の人からの手紙キャンペーン


朗読者 (新潮文庫)

朗読者 (新潮文庫)

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初恋の人からふすたふさんへお手紙が届きました。

ふすたふ、おひさしぶりです。
今でも霊を呼び寄せる体質ですか?ふすたふが写っている写真にはことごとく子供の霊がいましたよね。今でもそれはいい思い出です。

泣き崩れる私にふすたふが「悪いのはおれだ。おれでは幸せにできない」と言ってお別れすることになったあの日から、もう10年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。

あ、そうそう、お手紙を書いたのには特に理由はないんです。ただ部屋の掃除をしていたらふすたふからもらった「ふすたふ写真集」が出てきて、なつかしくなって。びっくりさせてごめんなさい。

今になって振り返ってみると、あの恋愛は、私の一人相撲ばかりだったなぁと思います。あのころの私は「寂しいと言ってもふすたふに分かってもらえない→他の男性に頼る」の繰り返しでした。私に会おうとしないのに「浮気は許さない」というふすたふに、私は身勝手さとやり場のない寂しさを感じ、それをやり過ごすことに苦労していた覚えがあります。

そういえばふすたふにとっては私が初恋の相手だったんですよね?最初のころは「もう一生でおまえしかいらない。もう恋愛には満足した」って勢いよく言ってくれたのを覚えています。もちろん信じていなかったし、やっぱり結果的にはインチキだったけれど、あのときの真剣な目は本気のように思えました。その後何人に言ったんですか?

なんだかんだ言っても、一つ言えるのは、私たちは若いなりに必死だったなぁということ。ふすたふよりもっと大切な人はできたけれど、あれほどに気持ちを高揚させ、あれほどに落ち込んだことは、その後の恋愛でもありません。それだけ私は真剣でした。

ふすたふは今、幸せですか?私はその後つらいこともたくさんあったから、卒業アルバムのふすたふを見ると、涙が出るし励みにもなります。

いろいろと書きましたが、私はふすたふの毒舌なところも、頭がいいところも、なんだかんだで私に優しいところも、理想のお父さんみたいで大好きでした。これからもふすたふらしさを失わず、それとそろそろ家のベランダに全裸で出るのはやめて(笑)、新しい誰かと幸せになってください。

またいつか会いましょう。それでは。

P.S. ふすたふが誕生日にくれたバッグ、質屋で「買い取れません」って言われました。


一瞬マジで、昔付き合ってた子からの手紙?!と錯覚しました。




ふすたふさんについての分析結果は以下の通り。

【短評】

アプローチは急ぎすぎで、最初だけ頑張る。付き合うと途中から好きかどうか分からなくなる。本音が見えない。

【あなたの恋愛事情を考察】

人を好きになるスピードは急激で、そのときの頑張り具合たるや、後で思い出すのが恥ずかしくなるほどだと思われます。しかし途中からその恋愛へのテンションが下がると、その後は「文句を言われないように」という動機で恋愛に臨むようになり、ここで恋愛の意義がよく分からなくなるのだと思われます。

女性からすると、ふすたふさんの行動は「うまくこなす」ことを第一としているために、どういう気持ちなのかが見えてきません。しっかりしているものの、どことなく、かわいげや人間味が足りないように感じられるのです。

ここから言える、ふすたふさんにありそうな問題点を列挙します。

◆付き合う前は意外と自信がない。
◆心で恋愛しているのは最初のほうだけで、後は「うまくこなす」だけになる。
◆世間からは「いい彼氏」などと高評価を受けるが、内心そうでないことは本人が一番よく理解している。
◆相手をふることの後味の悪さに恐怖し、付き合いが長引く傾向にある。

【もっと上手な恋愛のために】

このまま「上手な恋愛」を繰り返していくと、例えば安定的な付き合い、安定的な家庭を作りながらも、どことなくパートナーとなる人との心の距離は開いていくのではないでしょうか。「お互いに尊重し合う大人な二人」と自分では思っていても、それが「無関心」を覆い隠すための「自分への言い訳」となっていく可能性もあるのです。

おそらくふすたふさんは、賢い生き方をされているほうだと思われます。しかしその賢さが、恋愛では足かせになることも多いのです。考えすぎて感じられなくなる前に、この機会に恋愛を今一度考えてみてはいかがでしょうか。


・・・・・・。

*1:英名だと「The Reader」

発明は必要の母

占星術の歴史6000年、人間の一生たかが百年。おとなしくしていれば、それだけで殺される。常に異端であろうとしない者は、伝統に関わっては生きていけない。でもたいていの人は、現状の生活に満足してイノベーションの必要に気が付かないものだし、イノベーションの後に紡がれ普及していく消費ストーリーの枠内からはみ出すことはまずないんだよな。


くそっ、自分もまごうことなくその一人。


3年で1000個のアイデアを思いつき、10個の企画を描き、3つのサービスを立ち上げ、1つのイノベーションの種を見つけるくらいの気概を持たん。


必要は発明の母だなんて、誰が言い始めたのか。
この言葉は真実かも知れないが、この言葉に同調して唱和するという行為は、これからイノベーションを起こさんとする者にとっては、一害はあっても決して利などない。


2009.6.25

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう!

という本を、最近ほぼ同じタイミングで3人の人に薦められたので、買ってやってみました。


さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす

さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす


この本が紹介しているのは、「強み=才能」こそ最も「成長する可能性」を持つという考え方で、(弱点を克服するよりも)この「強み=才能」を徹底的に伸ばすことが先決であると最初から最後までさんざん強調しています。

で、Gallup社という調査会社が開発した「ストレングス・ファインダー」という180問の心理テストを受けていくことで(オンライン)、34個に分類した人間の強み=資質の中から、自分の強み上位5つを調べることができるってわけ。


それによると、僕の才能は下記の5つの組み合わせとのこと。


「運命思考/Connectedness」
「着想/Ideation」
「収集心/Input」
「活発性/Activator」
「学習欲/Learner」


意訳すると、
宗教心が強くて、何かと何かを結びつけるのが好きで、わりあい行動的で、
勉強熱心ってことらしい。ハハハ、宣教師でもやれってか。


占星術的には、太陽獅子座7度×月牡羊座10度×射手座の天王星(火のグランドトライン)とASC双子座!って感じ。
なので、まぁ内容自体の新鮮味は特にないんだけど、提示のされ方(デザイン)が異なるだけで、やはり受け取る印象はだいぶ違うんですね。だいいち人に伝えやすい。思うに、ここがストレングス・ファインダーの使い方の一番のポイントで、テストサイトも、自分のテスト結果を人に送るように設計されてる。
僕アセン双子なんですとか普通の人には言えないけど、「学習欲と着想が強みの勝間です(某帯より)」なんて一言なら誰にでも言えそうだし、実際そう言わせることをゴールとして作られたツールなんだろう。こういう実用的な設計がかなりされた占星術のツールってのも、あってもいいなぁ〜。



ちなみに、34個の資質を性質別にざっと書き出すとこんな感じです。
こうやって見ると、自分は思考資質ばっか強調されてる。


「関係資質群」
 コミュニケーション 共感性 親密性 包含 個別化 責任感 調和性

「影響資質群」
 指令性 ポジティブ 最上志向 成長促進 競争性 社交性

「動機資質群」
 達成欲 活発性 適応性 信念 規律性 目標志向 回復志向 自己確信 自我

「思考資質群」
 分析思考 アレンジ 運命思考 原点思考 慎重さ 公平性 未来志向 着想 収集心 内省 学習欲 戦略性

憧れの2つの顔

先週見た夢の中で印象的だったのが、『詩的生活』というノートを書いている自分を見ている夢だった。
夢の中で、自分や社会の1年後、3年後、10年後の未来について細かく書き込んでいたのだけれど、今となっては何を書いていたのか一向に思い出せない。ただ、時間を置いてもやはり気になってきたので、今日新宿に出たついでにマルイの上にあるヴィレッジバンガードで、厚手のノートを一冊買ってきた。

いま進行の月がちょうど魚座の23度から24度へ移ろうとしているのだけど、23度のテーマは「精神がつかまえたののの地上化」で、一言でいえばイタコの度数。「詩的生活」というのは、よく考えれると矛盾した表現だけれど、地上化とは、夢の生活への侵食とも言い換えられるから、この夢はどこか無視できないと感じたのかも知れない。

ところでこの場合の「詩的」とは、憧れを重ねるということだが、思うに、憧れには2つの顔がある。1つは未来に実現する「可能性」としての側面。そしてもう一つが、原始的な「本能」としての側面であり、何十万年前、何百万年前の太古の人類の願いだ。

だいたい二番目の憧れは、ふつうの社会人としての枠からすれば、普通でないこと甚だしいが、これほど強烈なパワーを発揮するものはない。ヨブ記の神はこの神(原始的本能の貯蔵庫としての無意識)だろう。旧約の神エホバであり、荒魂である。

詩的生活というノートに書き込みたいのは、生命保険の営業マンが描き出すような健全な人生設計なんかじゃなくて、この荒魂をどう受け取るかという具体的なプランであり、荒ぶるエホバに対するマリア=ソフィアの営みについてだ。

しかし、この構図、まさに冥王星海王星だな。2006年に惑星から格落ちして以来、冥王星の影響力がやや下がり、逆に海王星の女性原理の力がかなり上がっている。だからこそ逆に、自らの中の荒魂に向き合うことが求められているのだと言える。

それは日常においては自己否定の声であり、現在の生活や自分に対する「本当にこれでいいのか?」という疑問符である。人は自らに疑問符を投げかけるとき、太古からの人類の願いに触れているのであり、その荒ぶる叫びを和するチャンスを与えられているように思われる。

ってちょっとブ飛びすぎだろうか。そんな魚座進行の月な日々。

占い⇒自己教育ツール

ふと思ったが、占い師と占われる者との間で行われる現在のような形式での占いは、将来的にはなくなるだろうし、また、なくなるべきだ。

古来より日本でも秘儀への参入は、霊媒としての巫女(神主)と、霊体験を導き解釈する審神との二人一組で行われてきたけれど、この形式だと、相手に自分の人格をゆだねることになるので、たとえ相手がそれほど邪悪な人間ではなくとも、相手に自分の人格を容易に支配する権限を与えてしまうことになる。自我の発達した近代以降の世界では、そうした隙間(魔)は人の煩悩をいたずらに増幅するばかりで、時代遅れの感が否めない。

あくまで精神の自由とそれを支える明るい意識を失わずに、荒ぶる無意識の声を聞いていくということを“一人”で行うのが、現代にあるべき変容の形ではないか。ただ、やはりそうした自己教育が成立するためには、ある程度の強度をもった心の受け皿が必要となるし、既に気が弱っている者相手にいきなり強くなれとも言えないが、少なくとも、占う者はその状態(つまり占い師離れすること)を理想としつつ、相手に向き合っていかなければならないだろう。

ホロスコープをつくるのも、マンダラを描いたり箱庭をつくるのも、魂の内面に荒ぶる無意識の声を受け入れる「器」をつくろうとする営みである、という点ではあまり変わらない。そういう意味では、マンダラ塗り絵ではないが、占い師がホロスコープを解釈するのとはまた別の、まったくの占い初心者ユーザーでも可能なホロスコープの使い方や、関わり方というのも発明されて然るべきだなぁ。。。

織物の譬え

最近読んでいる『現代の神秘学』(角川書店、高橋巌)という本に、大正時代の新興宗教大本教出口王仁三郎が宗教のことを織物に譬えていたという話が載っていた。彼は宗教家であると同時に、大変な歌人でもあったから、

綾機(あやはた)の緯糸こそは苦しけれ
           ひとつ通せば三度打たれつ


という歌も残している。この歌の解釈について引用すると、


経糸は緊張しきって、変化せずに機にかかる「必然」の役割をもっているのに対して、緯糸は右に左に経糸の間をくぐっては、そのつど新しい綾を織り上げる「自由」の役割を担っています。そしてその「自由」を実現するためには、そのつど二度、三度と筬(おさ)できびしく打たれるのです。彼は神道の用語を使って、経糸は火であり、緯糸は水であり、そしてこの経糸緯糸の接点の働きをするのは伊都能売(いずのめ)の神であるといっています。


ここで出口王仁三郎がいっている「伊都能売神」とは、平たく言えば「愛の神」のこと。縦に、時代の流れとか目的に沿った動きがあるとして、その必然の間を、多くの土地とそこに暮らす人々が右往左往する自由がある。その衣食住の自由はきびしく打たれる苦しみを伴うが、緯糸が多様であればあるほど、織りあがったときの美しさが増す。

色んな土地があって、風土の違いがあり、そこで異なる文化が生まれ、ことばや表現が流通していく。荒魂のような東京がある一方で、和魂のような京都があっていい。それぞれの役割が時代の必然の中で統合されていくところに愛があり、美しさがある。


愛=多様な在り方や役割の統合=象徴作用


最近ある人に、キャリアアップだとか、自己実現がどうのこうのとか言う以前に、自己認識が出来ているか?と問われたのだけど、自らの矛盾を認識しているか、そして、その矛盾を調和させるための働きを為せているかと改めて考えてみて、あまり出来ていないなと思った。これは人間の場合もそうだけど、日本という土地や民族のレベルでだって、本当の意味で統合していたことなんてかつて一度もないのだと思う。矛盾こそデフォルトであり、エントロピーは基本的には増大していくもの。そこからまずモノを見ていかなければ。